1 眞壁とし子について
眞壁とし子は,キヤノン電子株式会社の企業内労働組合である,キヤノン電子労働組合に,30年以上,直接雇用されていた専従書記と呼ばれる従業員でした。
キヤノン電子株式会社の出向者ではありません。
2 本件解雇について
平成22年10月29日,キヤノン電子労働組合は,事前の説明は一切行わず,僅か6分間で,懲戒による当日の解雇にしました。
平成23年4月1日施行予定(本件解雇当時)の企業年金の給付減額に対して,不同意の意見表明したことを,最大の解雇理由としています。
3 具体的な解雇理由について
(1)解雇理由の抜粋(原文のまま)
退職年金制度改革について、その必要性並びに組合の現状及び立場を再三説明したにもかかわらず、退職年金制度改革が不可能になり、ひいてはキヤノン企業年金基金との統合も不可能になることを承知の上で反対した。かかる行為は、組合は組合員のための機関であることと根本的に相容れないことを理由とする解雇
(2)懲戒処分の基準について
キヤノン電子労働組合は,眞壁とし子を,前項の理由を最大の解雇理由とし,「故意に会社の秩序を乱した者」の基準に該当するものとして,「懲戒処分の解雇」としています。
4 本事件について
平成22年11月に,さいたま地方裁判所秩父支部に,地位保全仮処分命令の申立をしました(平成22年(ヨ)第3号)。
しかし,平成23年の9月7日,さいたま地方裁判所秩父支部の飯塚宏裁判官は,申立を全て却下しました。
現在は,東京高等裁判所に,抗告しています(平成23年(ラ)第1885号)。
5 争点について
本事件の争点は大きく分けて,
@ 本件解雇の手続の有効性,
A 本件解雇は解雇権の濫用であるかどうか,
の2点になります。
1 就業規則と懲罰委員会について
(1)キヤノン電子労働組合の就業規則について
キヤノン電子労働組合の就業規則には,懲戒処分として,
@ 「懲戒処分の 解雇」:退職金の給付がある解雇,
A 「懲戒処分の懲戒解雇」:退職金の給付が無い解雇,
の2種類の解雇が規定されています。
(2)「懲戒処分の解雇」について
「懲戒処分の解雇」については,会社によっては「諭旨解雇」と表記されている場合もあります。
東京労働局が発行している「しっかりマスター 労働基準法 解説編」にも,「諭旨解雇」の説明として「就業規則及び労働契約書において懲戒処分の一つ(通常、懲戒解雇に次ぐ重い処分)としてあらかじめ規定されており、解雇予告手当や退職金を全額または一部支払った上で解雇する」と記載されています。
(3)懲罰委員会について
懲戒処分については,懲罰委員会を開き,当事者に弁明の機会を与え,必要により第三者に弁護の機会を与えて決定する,と規定されています。
(4)普通解雇について
なお,精神・身体上の障害により業務に耐えられない場合や,事業の継続が不可能になった場合に適用される解雇,いわゆる普通解雇については,懲戒処分とは別に規定されています。
2 解雇通知書と解雇理由証明書と懲罰委員会の実情について
解雇通知書と解雇理由証明書に,本件解雇が,「懲戒処分の解雇」であると明記されています。
また,本件解雇は,懲罰委員会に,一切かけられていません。
キヤノン電子労働組合は,眞壁とし子が,退職年金制度の給付減額について,不同意の意見表明をしたこと(以下,「本件不同意」といいます。)を,本件解雇の“最大”の解雇理由としています。
1 企業年金について
企業年金とは,退職金の分割支払いのことです。分割で支払う分,利子を上乗せします。退職金ですから,企業年金は,後払いの賃金です。
本事件の,確定給付企業年金及び確定拠出年金は,法令で,国が保障する企業年金です。
そのため,事業主には,数々の税制上の優遇措置も設けられています。
2 キヤノン電子企業年金基金について
キヤノン電子企業年金基金は,確定給付企業年金法に基づく,基金型の企業年金です。
確定給付企業年金を実施する厚生年金適用事業所のことを実施事業所といいます。
キヤノン電子企業年金基金には,
@ キヤノン電子株式会社実施事業所,
A キヤノン電子労働組合実施事業所,
の複数の実施事業所があります。
企業年金の加入者(以下,「加入者」という。)は,キヤノン電子労働組合実施事業所では,眞壁とし子,唯一人です。
3 企業年金の給付減額について
本件解雇に大きく関係する,企業年金の給付減額とは,
@ 確定給付企業年金の給付額の減額
A 確定拠出年金の導入,
です。
キヤノン電子株式会社実施事業所とキヤノン電子労働組合実施事業所が,給付減額の対象の実施事業所でした。
4 確定給付企業年金について
確定給付企業年金は,労働者の老後のための公的年金の補助年金として,国が受給権を保障する企業年金です。
そのために,企業は,
@ 拠出掛金非課税,
A 運用収益非課税,
B 積立資産課税の凍結,
C 掛金損金算入,
という数々の税制上の優遇措置も受けています。
確定給付企業年金の特徴は,次のとおりです。
(1)加入者自身が現役時代に積み立てた年金資金で,年金を支給する「事前積立方式」であること。
一方,国民年金等の公的年金は,その年の年金支払を現役世代の保険料収入によって賄う「賦課方式」です。
加入者自身が現役時代に積み立てた年金資金で,年金を支給する「事前積立方式」とは全く異なります。
(2)使用者・資本が全く異なる実施事業所が集まって,1つの確定給付企業年金をしてもよいこと。
年金資金を巨額にして,資金運用のスケールメリットを受けることができます。
(3)実施事業所毎に,給付設計を異にすることができること。
給付設計とは,退職一時金の割合,退職年金の給付利率等の規定のことをいいます。
具体的には,「グループ区分」によって,実施事業所毎に,異なる給付設計にすることができます。
(4)実施事業所単位が原理原則であるので,制度実施,給付減額等の不利益変更も,実施事業所毎に同意を確認しなければならないこと。
(5)実施事業所毎の,過半数代表者,労働組合の正当な行為は,保護されていること。
によって,実施事業所毎の,過半数代表者,労働組合の正当な行為は,保護されています。
5 「本件不同意」の理由について
「本件不同意」の理由は,次のとおり,正当な行為です。
(1)説明不足であること
平成21年12月7日に,眞壁とし子は幾つか質問をしましたが,キヤノン電子労働組合は,殆どの質問に対して,「回答は控える」「平成23年3月末までに回答とする」等と回答し,全く回答しませんでした。
(2)給付減額に“やむを得ない理由”が全く無いこと
キヤノン電子企業年金基金は,非常に大きい運用利益が出ており,余剰金すら発生しています。
中心の母体企業であるキヤノン電子株式会社も,平成19年度は24億8200万円,平成20年度は24億5200万円,平成21年度は16億3400万円もの配当を出しています。
(3)確定給付企業年金及び確定拠出年金は実施事業所毎に実施されること
(4)「本件不同意」にかかわらず,他の実施事業所では,給付減額の規約変更は可能であること
上述のとおり,「グループ区分」によって,問題なく対応できます。
(5)厚生労働省通達「承認又は認可に必要な『標準処理期間』(2ヶ月間)」に対して,キヤノン電子労働組合が課した平成22年10月15日まで回答期限は,短すぎて不適切なこと
平成23年4月1日施行予定(本件解雇当時)の給付減額に対して,キヤノン電子労働組合は,眞壁とし子に,平成22年10月15日までに,同意の回答を迫りました。
しかし,キヤノン電子労働組合は,平成21年12月25日に,「眞壁とし子の同意は不要である」旨の法定手続違反通知をし,8ヶ月以上も,全く説明を行っていませんでした。
そうであるにもかかわらず,突然,平成22年9月20日に,僅か26日以内に同意しなさい,と通知したのです。
(6)キヤノン電子労働組合は,眞壁とし子が不同意の意見表明しても,話し合いは続けると,説明したこと
(7)眞壁とし子とキヤノン電子労働組合組合員では,年間120万円以上の賃金の格差があること
平成18年9月の退職勧奨以降,眞壁とし子は,キヤノン電子労働組合とキヤノン電子株式会社から,様々な退職強要を受けました。
その一つが,キヤノン電子労働組合から受けた年間120万円以上の賃金の減額です。
そのため,眞壁とし子は,老後の資金の貯蓄さえままならない状態であったため,給付減額に“やむを得ない理由”が全く無い以上,給付減額に不同意せざるを得なかったのです。
1 裁判所の判断について
さいたま地方裁判所秩父支部の飯塚宏裁判官は,
@ 本件解雇は,「懲戒処分の解雇」ではないので,懲罰委員会の決定を経るという懲戒手続は不要であり,キヤノン電子労働組合は,解雇予告手当の支払いを申し入れ,さいたま地方法務局秩父支局に供託していることから,手続に問題は無い,
A 「『本件不同意』にかかわらず,『グループ区分』によって,他の実施事業所だけ給付減額の規約変更ができるとしても,眞壁とし子だけ年金額が減額されないのは権利の濫用である」というキヤノン電子労働組合の主張は合理的と判断できるので,眞壁とし子が不同意の意見表明することは,権利の濫用である,
と判断しました。
2 裁判所の判断の問題について
(1)「@」の問題について
解雇時の説明,解雇通知書,解雇理由証明書に,本件解雇が「懲戒内容」中の「解雇」であって,懲戒処分の基準のうち「故意に会社の秩序を乱した者」に該当する旨,記載されていることは明らかであり,これより本件解雇が「懲戒処分の解雇」であることは明らかです。
そうであるにもかかわらず,飯塚宏裁判官の原審決定では,キヤノン電子労働組合が突然主張し始めた,精神・身体上の障害により業務に耐えられない場合や,事業の継続が不可能になった場合に適用される解雇,いわゆる普通解雇であるとの主張を認めています。
(2)「A」の問題について
ア 本件解雇時に認識していなかった事を解雇理由の根拠としていること
キヤノン電子労働組合は,最初,「給付減額しなければ,企業年金,母体企業が破綻する可能性がある」と説明していました。それは,上述の解雇理由の抜粋からも明らかです。
そうであるにもかかわらず,眞壁とし子が「グループ区分」について主張すると,キヤノン電子労働組合は,当初の主張を覆し,「『本件不同意』にかかわらず,『グループ区分』によって,他の実施事業所だけ給付減額の規約変更ができるとしても,眞壁とし子だけ年金額が減額されないのは権利の濫用である」と主張したのです。
飯塚宏裁判官の原審決定は,本件解雇時に使用者が認識していなかった後から主張した内容を,解雇の根拠として有効である,と判断しています。
イ 「本件不同意」は,眞壁とし子の年金額のみに関係するだけであって,他者の権利を一切侵害していないこと
上述のとおり,実施事業所毎に,給付設計を異にすることができるので,「本件不同意」は,眞壁とし子の年金額のみに関係するだけであって,他の加入者には一切関係がありません。
すなわち,「本件不同意」は,
@ 労働条件の不利益変更への不同意の意見表明であること,
A 他者の権利は一切侵害しないこと,
B 公共の福祉に一切反していないこと,
という意見表明なのです。
「本件不同意」のような意見表明を権利濫用と言われれば,労働者は,全ての労働条件の不利益変更に,一切反対することができなくなってしまいます。
飯塚宏裁判官の原審決定のような判決を許しては,
「労働者は使用者の利潤獲得のために雇われたという『立場にあることに照らすと』、利潤増大のための使用者の労働条件切り下げ提案に反対するのは、権利の濫用」であるので,ゆえに,労働条件切り下げ提案に反対したことを根拠とする本件解雇は正当である,
といった常軌を逸した裁判が行われることも,そう遠い話ではなくなります。
ウ 給付減額の同意・不同意の決定は,実施事業所毎の専権事項であること
上述のとおり,実施事業所毎に,給付設計を異にすることができるということは,給付減額の同意・不同意の決定は,実施事業所毎の専権事項であるということです。
つまり,給付減額の同意・不同意の決定については,キヤノン電子労働組合実施事業所では,キヤノン電子労働組合実施事業所の加入者のみの専権事項です。
同様に,キヤノン電子株式会社実施事業所では,キヤノン電子株式会社実施事業所の加入者のみの専権事項です。
キヤノン電子株式会社実施事業所の加入者は,上述のとおり,“やむを得ない理由”が全く無いにもかかわらず,給付減額に賛成した結果,給付減額だけですから,それはキヤノン電子株式会社実施事業所の専権事項の当該決定の結果です。
キヤノン電子労働組合の加入者である眞壁とし子は,キヤノン電子株式会社実施事業所の専権事項の当該決定には,何ら関与していませんし,法令上も,一切関与できません。
キヤノン電子株式会社実施事業所の加入者自身が決定した結果,給付減額されたにもかかわらず,眞壁とし子だけ年金額が減額されないと非難するのは筋違いです。
はっきり言って,それら非難や本件解雇は,眞壁とし子の人権の侵害です。
少なくとも,「本件不同意」は他者の権利は一切侵害していません。
そうであるにもかかわらず,「本件不同意」を「故意に会社の秩序を乱した者」の基準に該当する,としていますから,論理的な整合すらないのです。
エ 眞壁とし子の経済的な状況を無視していること
上述のとおり,眞壁とし子は年間120万円も賃金が減額されており,老後の資金の貯蓄さえままならない状態であったため,給付減額に“やむを得ない理由”が無い以上,給付減額に不同意せざるを得ませんでした。
しかし,飯塚宏裁判官の原審決定では,そのような事情についても一切無視して,一方的に,「本件不同意」を権利の濫用としています。
4 佐藤昭夫早稲田大学名誉教授の「意見書」について
前項1「@,A」のいずれの問題についても,早稲田大学名誉教授であり,法学博士である,佐藤昭夫氏が,端的に,的確に,しかも平易に,「意見書」としてまとめられています。
ぜひ,「佐藤名誉教授の意見書」をお読みください。
以上の,確定給付企業年金及び確定拠出年金に関する不当な司法判断は,同企業年金の加入者のみならず,同様の法制度である,厚生年金基金の加入者にも多大な影響を及ぼします。
したがって,
・ 厚生年金基金の加入者数は, 460万人,
・ 確定給付企業年金の加入者数は,647万人,
・ 確定拠出年金の加入者数は, 371万人,
の加入者に影響を与えます(平成23年版厚生労働白書,社団法人生命保険協会の平成22年3月末現在速報値)。
確定拠出年金は,他の企業年金と同時に加入することができるため,確定拠出年金の加入者数は,単純に合計することはできませんが,厚生年金基金の加入者数と確定給付企業年金の加入者数の合計,少なくとも1107万人の加入者に達すると考えられます。
いずれにせよ,本事件は,確定拠出年金の規約改定の手続上の権利をめぐる重要な法的解釈問題にも関連していますので,確定拠出年金の加入者の法的地位についても,本事件の司法判断は重大な影響を及ぼします。
したがって,今後,少なくとも1107万人の加入者の正当な行為に対して,解雇を含む不当な取り扱いがされても,合法と判断される危険があるのです。
企業年金の給付減額に“やむを得ない”理由がない限り,不同意することは,加入者の正当な行為です。
企業年金の給付減額が,労働条件の不利益変更である以上,当然の権利です。
しかも,企業年金の給付減額に対する意見表明は,
・ 日本国憲法 第13条,
・ 日本国憲法 第19条,
・ 日本国憲法 第25条,
・ 日本国憲法 第27条,
・ 日本国憲法 第28条,
・ 日本国憲法 第29条,
のとおり,法令で,加入者の権利及び保護は保障されています。
飯塚宏裁判官の原審決定は,法令で保障された正当な行為の保護規定を全く無視するものであり,国が保障する年金制度に対する国民の信頼を根幹から失わせる可能性のある,看過し難いものです。
したがって,飯塚宏裁判官の原審決定は,およそ,まともな決定の体をなさない,「結論先にありき」の決定という以外になく,直ちに取り消されるべきものなのです。
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